7.旅立ちの日

必要最低限のものだけを詰め込んでいく。
時間にそれほど余裕があるわけでもないので手早く、しかし確実に一度で荷をまとめた。

「よし、これですぐに出られるわ。」

黒髪の少女はそれを手に取る。

「セナ、本当に行くんか?」

外側にはねた茶髪を持つ少女は心配そうに尋ねた。
勿論彼女だけではない。
此処に集まった同志たちは皆旅立とうとしている少女を、彼女と同じ気持ちで見つめていた。

「ルホ、やめんけぇ。」

カトが肩を掴み、こちら側に引き寄せる。

「セナが自分から行くん言うとるんや。行かしたらええ。」
「でも…っ」

今までずっと一緒にこの町で暮らしてきた仲間、それも唯一無二の親友が行ってしまうという時に、 少年のように毅然として送り出す事が彼女には出来なかった。
悲しみと後悔の念で温かなものが頬を伝う。

「ごめんね、ルホ。」

見送られる少女も名残惜しそうに少女の涙を拭う。

「でも…私は行かなくちゃいけないの。」

大切な人が、きっと待っているから。
そして今彼の行方を探せるのは、恐らく自分だけだ。
同じダウザーの血を持つ、私だけ…

「大丈夫なの?こんな地図一枚で。」

黒髪の青年が心配そうに、手にしていた地図を手渡す。
それはこの(イーストリア)大陸唯一の港町『コレイア』周辺の土地柄を表した物だった。

「此処からコレイアまでの道のりは分かってるもの。中央(セントリア)大陸へ出る船はいつも夕方。
 あの人たちが今日の便に間に合う事はまず無いわ。つまり、制限時間(タイムリミット)は明日の夕方。
 それまでに彼を見つけて、港町から脱出するの。」

今の私ならきっと見つけられるわ。
そう言って少女は右腕の手首にはまっている金の、帯状の太い輪を見つめる。
紫の宝石(いし)は光を飲み込んでいるかのように深く澄みきっている。

「でもお(めぇ)、ダウジングのやり方なんて知っちょるんか?」

同じように輪を見ていた少年が指先で宝石(いし)をつつく。
硬い音が短く響く。

「分からないわ、そんな事。でも…」

レインは言っていた。
クロゼラスの者は生まれながらにダウザーなのだと。
だから…

「私にも出来るわ、絶対。」

何処からそんな自信が出るものなのか、と周囲は呆れかえっていた。
もう交わす言葉は何もない。旅立ちの時だ。
詰め込んだ荷物を背に担ぐ。

「そんなんで行くのかい?」

本当に、我ながら親として世間に示しが付かないよ。
そう言って現れたのは少女の育ての親であるロエルだった。

「ロエルさん!」
「母さん!」

先程まで姿を消していた人物が後ろにいた。
その手には何か丸っこいもの――色は黄緑といったところか――を抱えている。

「ほらっ、持ってきな。」

女がいきなり放り投げてきたそれらを慌てて受け取る。
この重量感、この感触、色、そして匂いは…

「クレナシの実…?」
「そ、しかもヴァイタリーズから取れた特別なヤツだよ。」

『クレナシ』はこの地方で栽培されている樹木作物で、主に対をなす『クレアラ』と一緒に使われる事が多い。
実は甘酸っぱくていい香りがするので食物や香料に、 そして皮は染色力のある独特の色素を含んでいるので染料として使われている。
対をなすというのは、クレアラの染料成分がクレナシの脱色成分によってのみ漂白される事に由来するのだ。
――元々同じ植物だったといわれるこの二種がどうして二つに分かれたのかは定かではないが、 この地方では昔からクレアラで染色し、所々をクレナシで漂白する事によって、衣類の模様を生み出してきたのだ。――
今では染色技術も向上し、複雑な模様を作り出せるようになった。
ただこのクレアラの染色色素は茶褐色、それも二度三度と染めなければ濃い色がつかないという、 染色能力の弱い――人工染料に比べてであって、自然の物としてはそれほど劣らない――植物で、 染色に使われるのは成分が濃くなっている、二三十年の樹齢を持つものに限られる。
つまり、三百年の歴史を持つヴァイタリーズから出来る実には――ちなみにヴァイタリーズはクレナシ、 アートレスィーズはクレアラである――強い漂白力があるのだ。

「これであんたも、ルークラトの住民からクロゼラスに戻れる。」
「…母さん。」

この地に住まう民はこのクレアラの実を食してきた。
皮ごと食べれば当然、染色成分が身体に蓄積される。
たとえ皮を食べなくても、実にも若干成分が含まれているため、何代も何代も重ねるうちに、 この地の民族は茶髪と茶を帯びた漆黒の瞳を持つようになったのだ。
セナの瞳の色の変化も、このクレアラの実の効果によるものだ。

「…驚いたものだよ。 たった二年程で灰色(もとのいろ)が分からないくらい綺麗に染まってきたからねぇ。」

この地方に多い、茶を帯びた漆黒の瞳に。
だからこそこの少女は、今まで何も知らずに安全に暮らしてこれたのだから。
きっと運命だったのだ。
素性を隠して生きていかねばならざるを得なかったこの少女が自分の娘になり、この地で暮らし、そして旅立っていく事は。

「それは餞別だよ。持っておいき。」
「でも、こんな高い物…」

三つもどうやって…
年老いた東の大木(ヴァイタリーズ)は二年ごとに花をつける。
が、あの小高い丘の頂きにあるため、町中で花を咲かす他の木々から花粉を貰うことが出来ない。
そもそも、このクレアラとクレナシは自家受粉では上手く実らないという特徴があるため、 花を咲かせる度に実をつけるわけではないのだ。
西の大木(アートレスィーズ)は同じような小高い丘で三年ごとに花を咲かせる。
この東のクレナシと西のクレアラが同時に咲く年、つまり六年ごとに多くの実をつけるのだ。
――養蜂の技術がないため、自然の力に任せてえることしか出来ないこの実は貴重なのだ――

「あら、セナ。私をなめるんじゃないわよ。」

女は呆れたように呟く。

「あなたのために骨を折って手に入れたんでしょうが。」

ちゃんと食べないと承知しないわよ。
そう言って少女の手を握る。
その代わり、今月のあなたの給料は貰っとくからね、という皮肉めいた嫌味の言は胸の内に伏せておこう。
この子がこの町に帰ってくることは、もうないのかもしれないから。
気丈な母を演じ続けよう。
ロエルはその目で少女の姿を脳裏に焼き付けた。
もう、これ以上はこの子を引き止めてはいけない、その思いが巡った。

「さ、もう行きなさい。急がないと朝までに港に着かないわよ。」

少女の身体をくるりと向かせ、背中を押した。
少女は一瞬こちらを振り返ったが、すぐに駆け出していった。
その場にいた皆が、その背中を見送る。

「元気でなーセナ!!」
「気を付けてね〜!」
「…がんばって!」
「バイバイ!」
「無茶だけはするなよ〜!」

次々にその背中に向かってかけた、それぞれの思いが込められた声が耳に届く。
小高い丘に辿り着いた少女はくるりと向き直る。

「ありがとう!!皆ぁ!!」

大きく手を振る。
この丘を下ればもう皆の姿は見えなくなってしまうからだ。
もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
そうじゃなくても、長い間この友たちに会えななくなるだろう。
少女はめい一杯に手を振った。

「行ってきまーす!!」

この感謝の気持ちが皆に届きますように…

「…アタシの事忘れたら承知しないかんねー!!」

泣きじゃくっていたルホが最後に叫んだのを聞きとげた少女はにっこりと微笑み、 そしてその傍らにいる女に視線を向けた。
あの人に送る、恐らく最後の言葉だ。

「母さん!!何処に行っても、血は繋がってなくても!!」

私は母さんの娘だからね。
その言葉を最後に、少女は丘の向こうに消えた。
ロエルは、この先あの少女が起伏の多い道を辿り、近道の為に崖を下ったり…
そういう危険に立ち向かっていく事を思った。
最後まで自分を母と呼んでくれた少女の姿があまりにも輝かしく、そして穏やかだった為かぼやけて霞んでしまった。

「ロエルはん…」

茶の少女は手拭布(ハンカチ)を差し出す。

「ちゃんと拭いとかんと…」

目が腫れてしまうで。
そう言った少女の様子を見ると人のことは言えないのではないかとは思うが、 こんなに簡単に崩れてしまう自分よりはやっぱり強いのだ。笑っている。

「…そうね。」

もう自分に出来る事は何もない。
願う事は一つだけだ。
あの子が、私のたった一人の娘が幸せになれるように。

「大丈夫や、あいつなら。」

茶の少年は強く言い放つ。
それ以上、誰も弱音をはかなくなった。
希望に満ちた未来。
皆の思いが一つになったのだ。

「…今日は風がえぇ感じじゃな。」

そう呟いた声が、寂しく風の中に消えた。

本当ノ始マリハココカラダカラ

マダ物語ハ終ワラナイ…

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潔い旅立ちのシーンなのに何故だか切なくなってしまったリオです。
残された彼らはその後一体どうなったんでしょうね…いや、もう出ないんですよ彼ら(言っていいのか分からないですけど)
これもそのうち番外編を書きたいところなんですが…ね。
しかしこのクレアラ・クレナシ設定、世の中に通用するんでしょうかね?
この話、専門家が見たら多分かなり釘を刺される作品だと思うので…
センス−ジェムなんてまさにその典型的な例ですな(苦笑)