|
…大丈夫だよね。
自分にそう言い聞かせ続ける。 その少女は既に町の中にいた。 まだ準備中と書かれた札がかけられているその店へ足を踏み込んでいく。 「…こんにちは。」 「おぉ、セナか。」 出迎えてくれたのはこの店の店長、この店とはセナの働いている『ディア−レスト』の事だ。 肉付きのいいその丈夫そうな身体は、やはり居酒屋の亭主というよりも工事現場で働く作業員を思わせる。 「どうだ?あの坊主の様子は。」 「レインは大丈夫…なんですけど…」 ふむ、あの坊主、『レイン』ていうのか。 えらくシャレた名前だな。 「どうした?何かあったのか?」 「…。」 少女は言葉を続けられなかった。 先程シュウから聞いたことが頭の中をぐるぐるしている。 自分の中でまだ上手く整理出来ていないのだ。 「…大丈夫か?店休んだ方が良いんじゃ…」 「だっ大丈夫です!」 大きく言い張ると、少女は支度に掛かった。 その重い足取りで駆けていく姿を男は不安そうに見ていた。 「まずこの地図だけど、僕はこれを五十年以上前のものだと判断して調べた。そしたら色々な事が分かってきたんだ。」 ――根拠は色々あるが、第一には、やはり紙の材質と年月。 第二には自分の持ちうる知識の中で、このような出来事が起こったという記録は、近年に見られていなかったことからだ―― そう言って、預かっていた藁半紙を取り出した。 「結論から言うと、この場所がハイクラトである可能性が低くなった。」 「えっ!?」 ということは最初の読みが既に外れていたと言うのだろうか。 自分は答えを見つけるのに回り道をしてしまったのか。 「無理ないよ。この地図じゃ誰だって間違うさ。 僕の読みだって当たっているのかどうか、正直な所自身がないんだ。」 地図の横に少女とその母親が書き記したあのメモを並べ、説明を始めた。 「今から65年程前、突如起こった異常気象のせいで大洪水が発生した。 町や村は尽く飲み込まれ、その数のおよそ三分の一が沈んだといわれている歴史的大惨劇さ。」 「三分の一も!?」 「といってもその当時のだからね。実際はたかが知れてるんじゃないかな。」 この土地が発展し始める前の事だ、人口も少ないので当然村も少なかったはずだ。 その為に堤防などの整備が行き届かなかったのかもしれないが。 「そのあとも異常気象が続いてね、今度は三年間一滴の雨も降らなかったんだ。」 その為あちこちの細い川は殆ど干上がり、大洪水の時に生まれた大きな湖、主流の河だけが跡に残った。 これはその直後の地図なのだと言う。 つまりその少女と女の分析は外れていなかったのだ。 「問題はこの地図が書かれた時期の事なんだ。」 「…どういう事?」 少女は首を傾げ、訝しい目で青年を見つめる。 大洪水、大干ばつ、ここまで当たっているのに何が問題なのだろうか。 書かれた時期とは、一体どういうことなのか。 「東 何しろ、海を隔てた先の大陸だからね。 青年は一緒に持ってきた資料を取り出しながらその先を続ける。 「その当時、中央 つまり各四大陸を順に回るから、 八年毎に一つの大陸地図が改められるという制度 今は一日に一便ずつほど、中央 モーターというものが存在しなかったその当時は、船を辿り着かせること自体が困難だった。 風力だけでは効率が悪く、長旅になることは避けられない。 この当時は機械仕掛けの船も存在したのだが、何分その時代のは古いもので、大きさが今の五倍はあり、 燃費も悪く一度動かすのに莫大な経費が掛かる代物だった。 その為、何年かに一度しか船を出す事が出来なかったのだ。 「その制度 「…特徴?」 「一つ目は、図法だ。」 青年は資料の中から年表と数枚の図表を取り出し、セナに手渡した。 そこにはびっしりと細かい文字が並んだものと、見慣れない奇怪な図が書かれてあった。 「何…これ。」 大きく曲がりくねった線、中心から引かれた同心円。 それが地図だと分かったのは、土地の名前が書き込まれていることに気が付いたからだ。 「これは正距方位図法で描かれた地図で、方位と距離を正しく書き表したものなんだ。 そのせいで大陸の形は異様に歪み、見知った形とは全然違う形に変形してしまう。」 この地図は主に大陸図や航空図に使われていたといわれているんだ。 青年が淡々と説明を続ける。 「他にもこの当時、用途に合わせて多くの図法で土地を描いていたんだ。 正距方位図法、正角円筒図法、その他様々な組み合わせ、修正が行われた図法。 それこそ数えだしたらきりがない。」 これだけの図法が至るところで使われていた時代。 正角円筒図法に統一された今となってはそれが何なのか検討も付かない。 「これだけの図法がある中で、この地図が東の何処なのか正確には割り出せない。これが一つだ。」 青年は先程までの資料を片付け、別の物を取り出した。 「もう一つは縮尺だ。」 「…縮尺?」 すっと目の前に出された二枚の紙。 それらには同じ図形が描かれているのだが、双方明らかに違う所があった。 「この二枚の違いは?」 「…大きさ?」 「そうだね。じゃあどうして違うのか分かる?」 「…小さく描くときの基準が違うから?」 「…まぁ、そんな感じだね。」 青年は苦笑しながら少女を見つめる。 それは彼女が突拍子もないことを言ったからではない。 頭では分かっているらしいのだが、その表現の仕方が少し滑稽だったからだ。 「この時期は自大陸以外の大陸はなるべく小さく収めたかったみたいで、こっちの小さい方を使っていたんだ。」 大きな大陸を出来るだけ少ない紙面で描こうとした為だ。 他所の土地に行く者の方が珍しかった時代だから、その方が都合が良かったのだ。 「つまりこの地図は僕たちが普段使っている物より縮尺が大きいと考えた方がいいんだ。」 「じゃあ、この湖の大きさはどう説明するの?」 「さっきも言っただろ?大洪水で町や村が沢山沈んだって。」 いくらその後三年間雨が降らなかったといっても、それだけの量が干上がる事はなかった。 ――そもそも東 その証拠に、主流の河以外の川は全て消えうせている。 「今までのことを考慮すると、恐らくハイクラトはここ、ルークラトは…ここだ。」 その場所を知り、少女は驚いた。 五センチは優に離れていたと思われていた町と村は、一センチあるかないかくらいの距離しか離れていないのだ。 勿論、その他の周辺の村もルークラトを中心に半径二センチの区域にいくつも点在していることになる。 「どうやってこの辺りだと判断したかは知らないけど、少なくともこの辺りってだけじゃハイクラトだと言い切れないんだ。 さっきの人たちがまだうろついている事を考えても、ここはカトに捜索を任せた方がいいと思うよ。」 青年は大事そうにそう言葉を綴った。 もうすぐ夕刻だった。 そろそろ店を開けなければお客さんを入れる時間になってしまう頃だ。 気持ちを切り替えて出迎える準備をしなければならないのだが、少女は依然として浮かばない顔をしている。 レイン、大丈夫だよね。 ルホが付いてたんだもん。 だがこの身体は先程から妙なざわめきを感じている。 この胸騒ぎは一体なんなのだろう。 その時だった。 まだ開店の札も出していない為決して開くことのない扉が勢いよく開かれたのは。 「セナっ!!大変じゃい!!」 「カト!」 茶髪の少年、カトだ。 そんなに慌てて一体どうしたというのか。 …嫌な予感がする。 「アイツがっ…レインが奴らに!!」 「えっ?!」 家に戻ったはずの彼が…どうして!! 「早ぅせんと、間に合わんようになるぞ!!」 行ってしまう…レインが…っ!! 「セナ、行ってこい!!」 「…っ!マスター!!」 突然、背後から男が叫んだ。 「いいから行け!!」 「…っはい!!」 男の言葉に感謝し、少女はわき目も振らずに店を飛び出した。 早足で駆けていく。 「セナ、こっちじゃい!」 いつもより身体が軽く。 「あっこじゃい!!」 いつもより鼓動が早い。 辿り着いた先は町の北側、港町もある大陸北部へと続く道がある場所。 そこにいたのは、馬車に乗せられようとしていた少年だった。 男が促すようにその後ろに立っている。 咄嗟に彼が自力では逃げられない…いや、逃げようとしていないことを悟った。 「レイン!!」 一瞬、彼がこちらを振り返った。 しかし、それでは彼の行く手を阻むことが出来なかった。 少年は促されるまま乗り込んでいく。 扉が閉まり、馬車が動き出す。 「レイン!!」 だが、その声はもう届かなかった。 放心した体は力を失い、その場に崩れ落ちた。 最後に見せた彼の悲しそうな顔が脳裏に張り付いて離れない。 一体何故、どうして。 助けも求めず、足掻こうともせず、ただすまなそうにこちらを見つめていた。 彼はもう、その夢を諦めてしまったのか… 「セナ…」 茶の少年と少女がその様子を呆然と見つめていた。 一体何が起こったのか分からず、立ち尽くす。 日が沈んで長く延びたはずのその影すら、もう見えなくなっていた。 ドンナニアナタヲ求メテモ モウコノ声ハ届カナイ… back close next
文化祭が終わって早三ヶ月が経とうとしていますか…
今頃この辺りを読み返して色々感じてしまいますねぇ しかし未だに疑問なことが一つ、縮尺が大きいと地図の絵が小さくなるんですよね?(おい) 地理を取っているくせにこの辺りが本当にあやふやになってて困ってます(汗) …あっ、石投げないで…っ |