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【《築きし楽園》にてユリアナの歓迎会風景】
中庭から戻ってきて目の前の光景にしばし目を疑った。 まだミナコさんが到着していないので、考えてみれば日本語を話せないリアーナが勝生家の皆と意思疎通を言葉で取れる訳がない。 入矢が電話で席を外すまでは彼奴が通訳をしていたんだ。 入矢のいない空間に俺が居たたまれなくなって部屋を出ちまったから、リアーナには申し訳ない事をしたと思っていたのに… 「何だよあれ…普通に会話してる、のか?」 「んーパッと見はそんな感じに見えるよねー」 「…違うのか?」 「よく見てご覧よ。」 入矢に促されて再びその光景を見つめる。 歓迎会が行われてたのは少し遅い時間とはいえ、店の営業時間内だ。 勿論他のお客さんもいる訳で営業も続いている。 俺たちと入れ違いで帰宅してきた入矢の従兄弟――真利さんの息子達だ――は完全に晩飯モードで、パートさん達が帰ってしまった今の時間は真利さんしか動けない事態。 だからと言って何でリアーナが配給を手伝ってるんだ?というのが目の前の光景なんだが… 「ゴチュウモンハ?」 「おー金髪のお嬢ちゃんお手伝いかい?」 「yes!オテツダーイ!」 「俺ぁ唐揚げ定食、ご飯大盛な。あと麦のロック、ダブルで頼むぜ。」 「オレはカツ丼!勿論生ビール先に持って来てくれよな!」 「私スペシャルうどんに稲荷寿司セットね。あとレモンチューハイもお願い。」 「OK!Please wait!!」 軽い足取りで注文を厨房に伝えに行く彼女の後姿に、本当に大丈夫なのかと不安になる。 常連さんだから注文内容がまた細かい…ダブルの意味分かってんのか? そんな不安をよそにリアーナは厨房に直接走っていく。 当然だ、リアーナは日本語の読み書きが出来ないんだから注文を書くことが出来ない。 さっきの注文もメモすら取らずに受けていたし、聞き慣れない言語の注文なんてちゃんと取れているのか。 すると厨房のカウンターに立ててあったメニューを手に取り、それをカウンターテーブルの上に広げる。 「Master!ムギロック double shot,ナマ bier,lemon チューハイ,Please!」 「おっ…おう、ちょっと待ってな。」 そして飲み物が準備されている間に、ユリアナはメニューを見ながら白い紙に何やら書き込んでいる。 白く細長い紙、どうやら同じカウンターに置いてあったオーダー用紙のようだ。 必死に文字と格闘している少女の目の前には、注文された飲み物たちが徐々に並べられていく。 「勇利、無理しなくて良いのよ?アンタ今は日本語ちゃんと話せないでしょ?」 「あっマリ姉チャン!Look this!Can you reed this writing?」 「えぇ?読めるかって?……唐揚げ定食白飯大盛り、カツ丼、スペシャルうどんに稲荷寿司…書けてんじゃん。」 「This is set,the small one.」 「えっ?あぁ、セットってそういう事ね。」 そういう時はこう書いてね、と真利が実際に書いて説明をしていた。 一連の流れを見て唖然とするのは俺だけじゃないだろう。 常連客はまぁ分かる、英語を話せないんだからそりゃ日本語を使うのは当たり前だ。 でも真利さんも含めて誰も英語を喋っていないというのに… 「何で会話が成り立ってんだよ…」 「リアーナが簡単な英語しか使ってないからねぇ。多分わざとだと思うけど。」 「いや待て、それだけで会話になる訳ねぇだろうが…」 というよりはリアーナが日本語を理解し過ぎている。 きちんと単語を理解していて大事な要点を押さえていて、更にメニューの写真を見ながら目的の日本語を探し出していた。 唖然とした俺の姿を横目に入矢が口を開いた。 「実はさっきお祖父ちゃんやお祖母ちゃんと話してた時もね、僕リアーナの言葉を二人に訳してただけなんだよね。」 「…は?てことは何か?リアーナの奴日本語を理解してるって事か?」 「まぁ端的に言えばそんな感じだね。」 「でも言葉は殆ど英語だっただろうが、発音聞いても完全に日本語は片言だし…」 一体どういう事だ?まるで身体と意思がちぐはぐというか、噛み合ってないというべきか。 「それって勇利さんの記憶が戻ったからなのか?」 「まぁ、そうなんだろうねぇ。さっき聞いたら彼女曰く、何となく解るんだってさ。」 「何となくって…何だよその非現実な答えは。」 前世の記憶を持っている事すらそもそもに非現実な事ではあるのだが、仮にそれが叶ったとすればこういう現象が起こるんだろうか。 「リアーナの肉体は日本語を理解出来るだけの経験を積んでいないから、当然ながら文字の読み書きは出来ない。 記憶が何らかの形で理解を助けてるんだろうね。 この分だとリアーナが日本語を話せるようになるのは時間の問題かな。」 「…だろうな。それこそ思い出したって感じで、一年後くらいには普通に喋ってるんじゃねぇのか。」 「かもしれないね。…母さんの記憶があるって事は、リアーナ男の子みたいに喋っちゃうのかなぁ…」 それはそれでイメージが違いすぎるんだよねぇと零した入矢の言葉に俺が瞠目する。 「何言ってんだよ、そもそもリアーナの言葉遣いってちょっと男っぽいだろうが。」 「えっ?そう、かな?だって英語じゃそんなの分かんないじゃん。」 「口調とか雰囲気とかで大体性格は分かるだろうが。リアーナのトーン、弟と喋ってる感じとすっげぇ似てるし。」 俺の弟の晴斗は今年で17歳、丁度年の頃合もリアーナと同じで大人しい性格だ。 小さい頃は俺が良く面倒を見ていたから甘え慣れてるって感じで、俺の背中を見て生きてきた分慎重で賢く振舞う性質で思慮深い所がある。 だけどここぞという所は譲らない頑固さもあって、自分が決めた事は必ずやり遂げるような奴だ。 リアーナも何となくそういう感じがした、長女らしいから俺の弟よりはしっかりしているとは思ったが。 「お前、先入観に囚われ過ぎてねぇか?」 「それは鷹斗もじゃないの?母さんの記憶があるんだって前情報があったらそう聞こえてるかもしれないじゃん。」 「いやでもお前のイメージは流石に作り過ぎじゃねぇのか?リアーナの事どんな女だって思ってたんだよ。」 「……大人しくて控えめな、可愛い女の子?」 「あーそれ絶対見た目に騙されてるって。あの姿の何処が大人しい控えめな女子なんだっての。」 視線で促された先に目を向けると、先程軽快に彼女に注文を投げかけていた客の3人とリアーナは楽しく談笑していた。 言葉が理解出来ていても上手く発信出来ない彼女は、ジェスチャーも交えながら受け答えしていた。 思っていた以上にリアーナが積極的に周りに関わろうとしているし、スケーターとして魅せていた姿やバンケット会場で最初に出会った時のあの儚げな印象は何処に行ったんだろう。 もしかして最初から僕が勝手にそういう子だと思ってたって事? 「…母さんって昔からあんな感じだったのかな。」 「どうなんだろうな。ていうか入矢知らねぇのかよ、勇利さんがどんな人だったのか。」 「母さんとの記憶は5歳までしかないから、やっぱり殆ど覚えてないんだよね。 スケートをしている映像なら沢山あるのに、肝心のプライベート映像って何処探しても残ってなかったし。 お祖母ちゃんからも母さんは努力家で繊細で、矢面に立つのは苦手な大人しい子だったって言ってたから…」 「あーまぁ、そういう雰囲気もない訳じゃねぇけど…けど本質的には負けず嫌いでストイックな感じがするな。 今は早く環境に慣れようって感じでちょっと必死さを感じる気がするし。」 無理に社交的になろうとしてるって感じだな。 俺がそう口にすると入矢は驚いた様子で目を瞬しばたたかせていた。 「…何でそんなに分かるの?鷹斗。」 「だから、弟に似てるって言ってんじゃねぇか。思考回路とか割とそっくりなんじゃねぇかな。」 「じゃあ母さんって晴斗君みたいな感じなの?」 「俺の直感だけどな。まぁその答えはリアーナが日本語喋るようになったら分かるだろ。」 「えー何かそれはそれで複雑だなぁ。」 お前が連れてきた癖に今更何言ってんだよ…。 俺のその呆れた声に入矢は複雑な色が混じった笑みを浮かべて目の前の光景をまた眺めていた。 まぁ、分かるけどな?自分の妹くらいの可愛い女の中に自分の母親が居るって考えただけでもそりゃあ複雑だろうよ。 こういう事が起こるから本来前世の記憶なんてない方が良いんだ。 だけど、勇利さんに限って言えば良かった事なんだと思うぜ。 運命の相手と一緒に居られない事が、どれだけ苦しい事なのか。 運命の番と添い遂げられる事が、どれほど幸せな事なのか。 お前にも分かってるからこそ引き合わせようって思ったんだろう? そういう意味では俺とお前の出会いも無駄じゃなかったって事だな。 スッと手を絡め取って握ってやると、驚いてこっちを見つめてくる入矢の視線を感じた。 それを敢えてみないように正面を向きながら、そのなだらかでしっかりとした肩に俺は頭を預けて目を閉じた。 これから始まる新しい日常に、思いを馳せて。 Ep.3の後の方に入れようと思ってたんですが、思いの外この部分も(入矢君が随分喋ってくれて)文字数嵩んだんでやむを得ず端折った次第。 入矢君がユリアナに先入観持ちすぎてるよっていうのを鷹斗に指摘して欲しかったんです…けど書いてみて何かしっくりこなかったな^q^ 弟君の意味なき出現が原因かもしれない(笑) (鷹斗が男兄弟で兄貴だっていうのは漠然と設定で入れてたんですけどね…出すつもりなかったのに(苦笑)) プライベート映像が無かったというエピソードは実は此処で出したかったネタでもある。 【《築きし楽園》のEp.3とエピローグの間の話】 『…っ!!ユウリの事を公表するだって!?』 ヴィクトルは驚きと戸惑いに揺れ声を張り上げた。 ロシアから長谷津の勝生家に戻ってきたその夜、入矢から今後の事について話があると言われた。 この場にはヴィクトルとユリアナ、そして入矢と鷹斗の4人だけ。 勝生家の母屋の2階にある元宴会場の広い部屋で、新居が出来るまでの間ヴィクトルとユリアナに割り当てられた場所だった。 ユリアナがヴィクトルをコーチに迎えるというシナリオ自体は既に彼から聞いていたが、その過程で彼女が勝生勇利の記憶を保持した転生者である事までを世間に公表するだなんて全く想定していなかった。 当の彼女は少し目を見開いてはいたが、言葉を口にする事なくその場に静止していた。 鷹斗もやはり入矢の発言には驚きを隠せない様子で、困惑した表情を浮かべていた。 『イリューシャ、ユウリを晒し者にする気かい!?そんな事をしたら世間からどんな視線を浴びるか… 下手したら研究者たちに目を付けられて彼女の人生に関わるぞ?!』 『…まず先に言っておくよ、そんな事には僕がさせないから安心して。 それに彼女を本当に守る為には“敢えて世間に事実を公表する事”が必要不可欠なんだよ。』 『……理由を聞いても良いかな?入矢。一応僕の今後に関わる事だからね。』 ユリアナが落ち着いた声で入矢に問いかけた。 悲しいかな、この数日で少しずつ話し始めた彼女の日本語に嘗ての勇利の言葉遣いの片鱗が見え始めていた。 お陰で入矢の耳にも記憶の彼方に消えつつあった母の口調のように聞こえるようになっていた。 彼女の中に漸く母を感じるようになったからこそ、今後の事についてきちんと話さなければならない。 『公表する理由は、貴方たちが“二度目の運命の番”である事が全てに於いて味方してくれるからだよ。』 『…どうしてだ?俺と勇利が番だった時は運命だからって何の強みにもならなかったし、二度目である事を証明するに したって後ろ盾も何もないんじゃ意味が…』 『じゃあ、その両方が叶えば…どうなると思う?』 『…確かにもしそれが可能ならば、少しは抵抗する力もあるだろうが、そんなもの何処に…』 『そう言えば、ヴィーチャにも余り話してなかったよね。 貴方にアイスキャッスルはせつを任せている間、僕が何処で何をしていたのか。』 確かに行方を晦ませる事を第一に優先していた為、この3年ほど息子の入矢が何処で何をしていたのかは余り把握出来ていなかった。 時折送られてくる動画でプログラムの相談や実際に滑った姿を確認し、指導やアドバイスを電話で話すという日常。 彼がどこかの国のスケートリンクに身を置けた時だけ、そのようなやり取りをするだけだった。 頻繁に連絡を取り合うと何処からハッキングや傍受をされるかが分からない為、最低限の連絡だけで済ませていた。 だから合間合間彼がどのように過ごしていたのかは知る由もなかった。 『後ろ盾に関しては心配ないよ。国際バース連合UBNのモンターニャ総長とはもう5年近くの付き合いだ。 この事はリアーナと鷹斗には話したよね。』 『あぁ。』 『中和型抑制剤の誕生は入矢がキッカケだったもんね。』 『えっ?!』 『ヴィーチャには後でその事も話すよ。兎に角僕にはモンターニャ総長という後ろ盾がある。 だからバース性研究者たちが僕や総長に無断で貴方たちにどうこうしようとすれば、己の盛名に関わる事になる。 今急速に伸びている分野だから、自ら進んで泥沼に足を突っ込もうだなんて人間は居ないよ。 それに貴方たちが協力、承諾してくれるなら… “運命”研究の第一人者であるイギリスのマクミラン博士が背後についてくれる。 彼がきちんとした形で“運命の番”についての論文を発表してくれれば、貴方たちは世界で初めて運命とは何かを証明した 存在として世界に名を残す事になるんだ。 歴史に名を刻む人物として世間に認知されれば、第三者が無暗に貴方たちに手を出そうにも出せなくなるよ。』 人類における奇跡の番、αとΩの象徴として敢えて名を挙げる。 国際バース連合UBNの認知する配下に置かれれば、例え研究対象にされたとしても当人の同意の得られないような仕打ちを受ける事はまずないし、名のある学者が最初に就いてくれるのであればその顔を汚そうとする動きからも守られるという事だ。 マクミラン博士の名前はヴィクトルも知っていた。 5年前に入矢が両親の過去と真実を公表した後に、国際バース連合の集会で声高々に出会う事が非常に稀である“運命の番”の重要性とその法則性を解き明かす必要性を説いていた姿が世界中に流布していた。 己の事もそのスピーチ内に取り上げられていた為、何時かきちんと話してみたいとは思っていた人物でもあったからだ。 まさか息子に先を越されていたとは露程にも思っていなかったのだが。 『だから“運命の番”の価値と真実を解き明かせば、貴方たちが運命である事は充分な強味になる。 それに僕が語った両親のエピソードは世界中の皆が知ってる事だ。 再び巡り会えた事を公表すれば、一般市民の目も総じて味方になってくれる。 国際バース連合UBNと世間からの目があるのに貴方たちに手を出そうとする輩なんて…出ないと思うよ。』 『よっぽどの馬鹿じゃなければ、の話だろ?』 『…もしそのよっぽどの馬鹿が居たなら、その時は僕が貴方たちの盾になるよ。』 『イリューシャが…?』 『ヴィーチャなら気付いてるでしょ?僕がとても強いフェロモンを持つαだって事。』 だってその身で何度も体験したもんね。 入矢はそう言葉にしながら薄く微笑んでいた。 ヴィクトルは回想した、初めて彼がαとして覚醒したと実感した瞬間を。 あれは入矢が13歳になって直ぐ、指導の面で意見がぶつかった時だ。 数か月前までは感じなかった、沸々と高ぶってきた彼の威圧フェロモンの余りの強さに身震いしてしまったのだ。 またシニアに上がって初めての世界選手権、彼が素性を公表した直後でもあったので試合に帯同した時の事だ。 彼の試合に最初に帯同したのはこの時だったのだが、早速己の国からの洗礼を受けたのだ。 開催地がロシアのモスクワだった事もあるんだろう、刺客を送り込みやすかった事が要因だろうが… 安全を取って大会開催期間の間のホテルは、ヴィクトルは入矢とツインルームで過ごした。 世界的にも有名なこの親子はどうしても目立ってしまう為、滞在している部屋を知られるのは致し方なかっただろう。 二人の部屋に雪崩るように発情期真っ最中のΩをけし掛けられた時の事だ。 彼は一瞬で襲い掛かってきたΩ達をフェロモンの波動で一掃した。 当てられたΩ達は口から泡を吐きながら、秘部からは体液を溢れさせながら一様に失神していた。 入矢の威圧フェロモンの強さを改めて認知したのはこの時だったし、同時に俺自身がΩのフェロモンを感知出来なくなっていた事を再認識した瞬間でもあった。 勿論その気配は仕事でロシアを中心に海外を点々と飛んでいた時にも薄々感じていた事ではあったが、Ωは基本的に己の性を隠すように生きているし、Ωと出会った時にその事を教えてくれる他のαが近くにいなければΩフェロモンを感知出来ないヴィクトルには確信を得る事が出来なかった。 その為、この時初めてΩが分からないという仮定が真実だったという事を知ったのだ。 脳裏にあの光景が映し出され、身体が憶えていた恐怖によって僅かに震えていた。 それほどに、本気の入矢のフェロモンは常軌を逸した強さを持っていた。 『その理由が先日判明したんだ。α性研究の第一人者といえばエーゲル博士だけど、ヴィーチャも知ってるよね?』 『あぁ、去年彼からのコンタクトもあったしね。少しばかり話もしたよ。』 『エーゲル博士に寄ると、ヴィーチャはSランクαで間違いないそうだよ。』 『Sランクαって運命の番程じゃねぇけどかなり珍しい存在だろ?本当なのか?』 『Sランクっていう事は本当だけど、真実は少し違うかな。 中和型抑制剤のα血液のサンプルで統計が出されたんだけど、それに寄るとαの約0.1%がSランクに相当するらしいという 結論なんだって。確かに多くはないけど決して伝説級じゃないと思うよ。あくまで統計上の話だけどね。』 『そう、なのか…?』 『もし伝説級のαが居るとすれば更にその上だよ。Sランクをも凌ぐ、強いフェロモンの持ち主。』 『まさか…イリューシャ、お前なのか…?』 『……ヴィーチャがSランクαである事が間違いないのなら、そういう事になるよね。』 その場に居た全員の顔から血の気が引いていた。 今し方入矢の方がヴィクトルよりも強いフェロモンを持つαだという話をしていて、ヴィクトルがSランクαだという話になれば自然とそういう事になる。 心なしか入矢の瞳からは光が失せて威圧的に見える。 『血中のフェロモン濃度を測定して貰ったら、僕のフェロモンってSランクの倍程あるらしいよ。 荒い言い方をするならより獣的な、本能のとても強いαである事は間違いないってさ。 余りに強すぎて普通なら精神を正常に保つのもどうやら難しいらしい、何故平常心を保てるんだって凄く驚かれたよ。』 『入矢…それ、本当なの?身体は大丈夫なの??』 『大丈夫だよ。僕の身体が丈夫なのは母さんからの遺伝だけじゃなくて、この強いαフェロモンが成せるものでもあるらしい から。ほら、野生の動物って凄く身体が丈夫でしょ?滅多なことでは怪我もしないし感染症にも強い免疫力の高さも ある。僕の肉体も同じなんだってさ。要は人間離れしてるっていう次元らしい。』 『イリューシャが…そんな強い存在、だったのか。』 彼から発せられた怒りの波動の強さ。 その正体が彼自身の並外れたαとしての血だったとは… 時折彼から感じていた身震いするような恐怖はそこから沸き起こったものだとヴィクトルは悟った。 だからこそ同時に何故その強すぎる力を制御出来ているのか、疑問も起こる。 『αに目覚めた頃、時々お前が我を忘れたように力を放っていた… あれが本能だとすれば、お前の理性は大丈夫なのか?無理をすれば精神状態にも関わってくるじゃないか。』 『んー多分だけど、今も僕が僕で居られてるのは鷹斗のお陰だと思うんだよね。』 『…俺?』 『だって、僕たち小さい時からずっと近くに居たでしょ?』 小学校の間はずっと1クラスだったし、中学に行っても2クラスに増えただけで物理的距離は常にある程度近い所にあった。 13歳でジュニアの試合に出始めて世界に繰り出していって、世界に名を馳せる選手としての存在感が段々と周囲が垣根を築き始めていた。 同時にαとしての性が覚醒し始めた頃で、時折感情が高ぶった時に自分を制御し切れないと感じる事があり二重の不安を抱えつつあった。 学校ではそんな失態を犯すまいと徐々に自分を殺すように、人前では愛想を振舞うようになっていて。 心の拠り所もスケートをする事だけになっていて徐々にその心も疲弊していってるのを感じていた。 周りはそんな入矢の虚勢に気付くことはなく、誰が言い出したのか入矢に対する不可侵条約的なものを作ったようで益々孤立感は増していた。 そんな中でも鷹斗だけは分け隔てなく、偏見も持たずにずっといつも通り友人として接してくれた。 『その事だけでも僕にとっては十分すぎるくらいに心の支えになっていたし。 今にして思えば、僕たち運命の番だったんだからさ。 傍にいるだけで強い精神の支えになっていたんだと思う、込み上げてくる衝動を抑え込んでくれる力もあったんだと 思う。番を得て本来の能力を発揮出来るのは、多分Ωだけじゃないんだよ。 君が居てくれたから、僕は自分の本能に負けることなく今迄僕自身でいられたんだ。』 僕が海外を点々とする生活をする事が出来たのも、既に鷹斗という運命の番を得ていたからだろう。 もし運命に出会えていなければ、きっと僕は誰かと番おうだなんて思わなかった、思えなかったというのが正しいか。 目的は世界選手権5連覇の壁を破る事で、番を得て安寧を得ようと考えた事など一度もなかったから。 だが番がいなければきっと僕は夢半ばで壊れていたかもしれない。 強すぎる本能とフェロモンの強さに己の制御が出来ず、何れ精神崩壊を起こして下手すれば廃人になっていた可能性がある。 エーゲル博士の出した検査結果で初めて分かった事ではあるが、過去に自分がとても危ない橋を渡ろうとしていたんだと諭された。 『その話を聞いて鷹斗の顔が浮かんだんだ。あぁ、本当に僕は恵まれていたんだってね。 僕がこの世に生を受けた時から、この地に僕がやってくる事は多分決まっていた筈だ。 その場所で君が待っていてくれたんだって思って…僕を守ってくれたんだって知って、どれだけ嬉しかったか分かる?』 『入矢……っ。』 『僕が世界を変えられる力を持てたのも、抱いた夢を叶えられるのも、全部鷹斗のお陰だよ。 …本当にありがとう。』 瞳に光が戻り、優しく微笑む入矢の姿が其処にあった。 彼は今でも野性的な本能に支配される自分と、それに抗い己の自我を保つ為の理性を保持する自分の狭間を揺れ続けているんだろう。 それでも最後に理性が勝って己を見失わずに居るのは、引き留めてくれる、飛ばされぬように繋いでくれる存在が内に居るからだ。 まさかその存在が他ならぬ自分だったなんて。 入矢が強いのは彼自身の意思と努力があったからだと思っていたのに、そこに自分の存在が不可欠だったんだと告げられて嬉しくない訳がないだろう。 柄にもなく涙を幾筋も流し、戸惑いもあるのだろう、鷹斗が唇を震わせていた。 そんな彼に手を伸ばして、優しく胸の内に抱き込む。 『…そんな訳だから、僕の事は大丈夫だよ。今は殆ど理性を失って衝動に持っていかれるような事はなくなってる。 鷹斗と番になってからは徐々に自分のフェロモン制御の精度も上がって、今じゃ色々出来るようにもなったしね。 もし変な輩が現れても、僕ならどんな相手でも失神させられるし威圧出来る。 …その気になれば、フェロモンで相手を支配して誰からの差し金なのかを自白させる事だって出来る。』 だから貴方たちが心配する事は何もないよ。 鷹斗の後頭部を撫でながらさらりとそんな事を言っているが、自分が言っている事の重大さが分かっているのだろうか。 対象者を支配し、意のままに操ると言っているようなもんだ。 権力を振りかざすだとか、立場の違いを利用して相手を威圧する事はままある事だが、入矢の場合はその何方でもない。 生き物としての本能を揺さぶり、例え相手がどんな人間であってもその支配力を行使すると言っているのだ。 そんな事が出来る人間がこの世に居ると考えただけでも恐ろしい事だというのに。 驚愕したままヴィクトルとユリアナは固まるしかなかった。 『それにね。貴方たちの事を公表したいのは、もうあの時とは違うんだって感じて欲しいからだよ。』 『…あの時と、違う?』 『父さんと母さんが番になった時、世界は“運命”に対して優しくなかった。 その事に価値を見出す人は誰もいなかったし、どれだけ神秘的で崇高美である事なのかを誰も知らなかったからだ。 僕は自分の存在を以て“運命”に価値を作った。だからもう“運命”が枷になるだなんて誰も言ったりしないよ。 そして貴方たちの事を公表すれば、“運命の番”とは一体何なのかを世界中が知る事になる。 その真意が知られればこれほど浪漫的ロマンチックな物語はないよ、貴方たちは誰もが羨む奇跡の番になるんだ。 …僕は貴方たちが、僕の愛する両親である貴方たちが、今度こそ本当に、世界中から祝福されて欲しいんだ。』 その為に必要な土台は全て揃えてきたんだよ?瞳を潤ませながら入矢は二人に向かって微笑んでいた。 全てが揃って初めて、強固で頑丈な障壁が、何人たりともその関係を脅かす事の叶わない唯一無二の存在へと昇華出来る。 必要な欠片を揃えられるだけの力を得ていた入矢だからこそ、この選択をしたのだとヴィクトルは思い知った。 守れるだけの力を得ただけでなく、俺たちを世間に認めさせたいと、祝福されて欲しいと願ってくれていたなんて… 『…だって、番になった事を隠すって事は、人の目がある所では常に一線を引き続けないといけないって事でしょ? 漸く穏やかに二人の時間を過ごせるようになったのに、そんなの悲しいじゃない。 だから二人を引き合わせるって決めた時に…いや、ユリアナという少女が母さんの生まれ変わりなんだと知ったあの日に、 僕は決意したんだ。』 『入矢……っ!』 『リアーナ。……いや、母さん。今度こそ、貴方には幸せになって欲しいんだ。 もう隠す必要なんてない、堂々と自分が幸福に満ちているんだって事を世界に魅せ付けてやってよ。 今も昔も、貴方はとても幸せだと、愛に満ち溢れているんだと、その姿を存分に見せてよ。 それが許される世界を創ったつもりだよ、これが僕が最大に出来る親孝行だ。』 『……っ、イリューシャ……、お前って奴は……っ。』 『…ヴィクトル。僕、決めたよ。……良いよね?』 『……あぁ。最高のシチュエーションを俺たちの息子が用意してくれたんだ。』 俺たち家族が、世界を驚かせてやろうじゃないか。 それぞれに涙しながら、最愛の存在を抱きながら浸っていた。 これから過ごす日々が、多幸感に溢れる充実した人生になるだろうと思いを馳せながら。 この後に鷹斗と結婚する事を二人に話すシーンを書こうと思ったんですが、このシーンの感動は此処で終わった方が良いような気がして筆が止まりました← まぁこの流れですから、両親は二人の結婚を祝福するでしょう(笑) 書かなくても此処は十分想像しうるかなと思えばまあいいか(・ω・)なので終わっとく←感動をぶち壊すな この作品のヴィクトルはずっと祖国に首根っこ掴まれながら現役時代滑っていた設定なので(苦笑) 本来の面白い事大好きな、生き生きとした彼を掛けなかったのでちょっとその空気を出してみたかった…のですよ^q^全然足りないけどなw next
pixiv掲載時は他にも載せてたんですが内容が蛇足だったんで、此方にはこれだけ持って来ました^^;
この二つはしっかりと描いたお話だったので…本当最後の話が一番長くてヒクわ…自分でも(苦笑) 考えたら前二つと最後で分量一緒くらいですからね、何考えてんだかww なのでこの辺りは書きたかったけど入れられなかったという^q^ |