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心が落ち着かない。
何故ならこの壁一つ隔てた向こう側に人が群がってい 奴らの目的は俺だ、正確には入矢の番に只ならぬ興味があるからだ。 事の発端は年明けに発表されたマクミラン博士の“バースの運命論”という論文。 その中に書かれてあったΩの生態やら違いやらを書き綴った事が、今俺に追い打ちをかけていた。 “運命の番”とは何か。 それは論文を見るまでもなく既に知っている事だが、いや実際俺の中にもリアーナ程記憶がハッキリある訳じゃないが…感覚として持ってはいるものだし。 もし記憶がハッキリとあったら、俺と入矢はどうなっていたんだろうって考えた事はあるけどな。 確実に今のように鞘に納まってはいないだろう、それくらい最初に入矢に会った時に起こった嫌悪感というか不信感は言い表せないもんだった。 心が変わったのは今世の己の番が真面目で誠実で、目的を達成する為に真っすぐに突き進み努力を惜しむことなく常に切磋琢磨していたからだろう。 俺が入矢を認めた辺りからはそんな感情に苛まれる事はなくなっていた。 通常の番よりも運命の番から生まれた子供の方が優秀である。 この事に関してはまだ確信を得られるほどのサンプルが揃ってない為予測の範疇で書かれていたが。 既に頭角を現している陸上のボルト選手、そしてフィギュアスケート選手の入矢。 そして2年前に生まれたテイラー夫妻の息子さん。 彼がもしαであれば3人目のサンプルになるらしいが、彼が第二性に目覚めるのはまだまだ先だろう。 現状では番から生まれるαの能力値が1〜1.2倍と言われている中で、運命間からは1.5〜2倍の能力値になるだろうという憶測らしい。 その誤差はΩの方の第一性による変動だろうという話だ。 女性Ωは相手のαとほぼ同等の能力を子に引き継ぎ、男性Ωは少し上乗せして引き継ぐ。 運命間であれば更に互いの繋がりが齎すものが作用するとかで更にその係数が双方上がるらしい。 勿論今解ってる情報だけでの憶測だがな、あくまで仮定の話だ。 だがこの仮定の元試算すれば、勝生入矢という人間が途轍もない強運の元生まれてきた存在という事が分かるだろう。 運命の男性Ωから生まれてくるαは、それだけで番のαの能力の2倍。 この理論自体、そもそも入矢しかその条件に当てはまるαがいないからそうなのだろうという憶測付きだがな。 加えてその番であるα、ヴィクトルさんはSランク…通常のαの2倍の能力を持つってんだから、子に引き継がれるだろう能力値は総じて4倍になる。 つまり、勝生入矢は世界でたった一人の、稀有なα。 飛び切り強いフェロモンを持つ、恐らく人類史における最強のαだろうと結論付けられていた。 Ωの男女比は圧倒的に女性が多い。 国によって比率が異なるらしいが、世界人口で見るとΩの人口は1割前後。 先の二度あった世界大戦の間には更に落ち込んでいたようだが、現在は回復してきて漸くその人口にまで回復したらしい。 日本は人口が減少傾向にあり今では海外からの移民を踏まえて何とか人口1億人を保っている。 移民の数は年々推移してるから、まぁ純粋に日本人だけで見るなら大よそ8千万人強って所だろう。 日本という国は比較的Ω比率が少ない国らしく、今現在は7%程だと言われている。 更にΩの内訳で、世界的には男女比が男性2割、女性が8割らしいが…日本ではもう少し男性が少ないそうだ。 この辺りはお国柄が出るのだろう、タイを含めた東南アジアでは逆に4割近くいる地域もあるって話だからな。 そしてΩの内訳の中には先天性と後天性がある。 αに後天性は余りないようだが、Ωの場合は様々な要因で二次性徴を過ぎてからΩ性が発覚する事がある。 つまりβと診断を受けた者から突如Ωが現れる事があるのだ。 先天性は大体両親が番、若しくは余りない事だがβとΩの夫婦から生まれた子で親からΩ性を引き継いでいて、12歳前後でΩが目覚める。 それを大きく過ぎた頃にΩ性が発覚する場合は後天性に分類されるらしい。 割合でいうと後天性Ωは数%、基本的に10代後半以降でΩの診断が下される事は少ないという事だ。 それでも後天性Ωはある程度今は予測が出来るようになっている。 その人間から親より上の世代である第三親等以内にΩが居る場合、隔世遺伝という形でΩ化する可能性があるのだそうだ。 なので家系図が辿れて、万に一つΩとして覚醒する可能性がある子供は、通常の定期健診とは別に経過観察をされる事も最近は増えているらしい。 兎に角、Ωになるかどうかっていうのは基本的には予測できる範疇だ、という事だ。 これもΩ研究をしている学者たちが寄ってたかって過去の情報を精査して導き出した理論だという。 問題は俺だった、俺はこの条件に当てはまらないという事実。 父さんの家系は昔からこの佐賀の土地で代々土地に根付いた事業を幾つも担っていて、言わば長らくこの地で血を繋いできた商業の一族。 だから200年くらい家系を遡る事が出来るらしく、過去にαが二、三人いた記録はあれどΩは一人として居ない。 母さんの家系はこの長谷津の土地を代々継いでいる、言わば地主で此処も随分先まで家系を辿る事が出来て…やはりΩは一人も居ない。 三男坊と次女だった為それぞれの家から独立し、俺の両親は普通のサラリーマンとパート従業員だけどな。 それでも第六親等ほどまで家系を遡れる一般人なんてこの時代珍しいだろう。 だからこそ俺の存在は異質だと感じる、今説かれている後天性Ωの条件に当てはまらないのだから。 正に“突然変異”という言葉が相応しい。 男だから尚の事だ、俺の身体に子を宿す子宮が出来る要因が一体何処にあったのか…普通ならば有り得ない。 日本中、いや、下手したら世界中を探してもこんなΩ俺一人しか居ないかもしれない。 世界で一人だけの、血縁関係とは異なる要因でβから転移したΩだと知られれば…まさかの俺までも研究対象に加えられちまう可能性が出てきたんだ。 幸い入矢という最強の盾は健在だし、俺の素性まではまだ世間には知られていないから今すぐどうこうなる事はないと思う。 が、古川鷹斗が勝生入矢の番だっていう事を知ってる人間は皆無な訳じゃない。 成人記念として母校で開かれた同窓会、小学校の元クラスメイト達にはその時に知られている。 また大学の同じ学科の奴にも数名程番である事を知られている。 何方にも入矢が征服フェロモンを使って口止めをしているらしいから情報が洩れる事は恐らくない筈だが…その周囲の人間に何らかの形で感付かれる事だってない訳じゃない。 余り考えないようにはしているが、心持ち落ち着かない事だけは言える。 そして此処で上がってきた一つの仮定。 ただ一人のSSランクαだと称された入矢のフェロモンが、本来ならΩ化する筈のないβ男性の身体を変容させたのではないかという事だった。 実際俺自身も入矢が原因でΩになったんだろうと思ってはいたが…改めて理論づけされてその事実を突き詰められたら、この事がとんでもない事だと思い知らされる。 Sランクのαにも勿論そんな力はないのだから、そもそもこの事を証明する方法は何処にもないし、大体にそんな事が起こるだなんて世界中の誰もが思ってない非現実な話なんだけどな。 いざ知られた時の事を想像すれば、学者たちは総じて俺の過去の身体データが余りにも少なくて落胆をしそうだ。 柔道をずっとしてはいたが大きな怪我をする事はなく、俺が今迄受けた検査なんて精々血液検査とレントゲンくらいだ。 あぁ、血液検査でΩの受容体が見つかった後にそう言えばCTを取ったんだっけな…それで俺が間もなくΩとして目覚めるだろうという診断を食らったのが17歳になって2か月ほど経った頃。 後にも先にもその時しかCTなんて取ってないから、身体の内部で起こった変化を捉えているような資料は何処にもない。 …ならば、奴らが目を付けるのは俺自身の今の身体だろう。 つまり俺の素性が知られた瞬間に、本当に大変なことになる。 入矢が手を回してくれているのかは定かじゃないが、今の所何処かの研究機関に呼び出される事もなければ連れて行かれそうになった事はない。 まだ俺の素性は露呈してないという事なのだろうと思い込むしかないのだが。 しかしそれ以上に深刻だったのは今の俺の状態だった。 さっきの理論でいうと、運命の番から生まれる子は親の能力以上の力を引き継ぐことになっている。 Ωが男性であればその係数は更に強く、今の所運命のΩから生まれる子の能力値は恐らく2倍だという事。 そしてその結果生まれてきた、世界最強のαである勝生入矢。 その番である旧姓:古川鷹斗は勿論男だ、且つ入矢とは運命の番である。 じゃあ…俺たちの間から生まれてくる子は、一体どうなる? そもそもに運命が二重に重なる事が奇跡中の奇跡だってのに、その両方が男性Ωってどんな強運だ?! 普通ならば有り得ない、今後の人類の歴史でもこんな奇跡恐らく二度と起こらないだろう。 だからこそ世界中が注目しているんだ、俺たちに。 正確には俺たちから生まれてくるだろう、その存在に。 此処で俺は人生で最大の後悔を味わっていた。 グランプリシリーズ初戦の最終日、漸く体調が落ち着いてきて起きていられる時間も増えてきてはいたが日中ずっと臥せっている事が未だ多かった。 ふと目が覚めて時計を見れば深夜に差し掛かった頃合で、そういえば今日彼奴試合じゃなかったっけ? と思い出して寝ぼけ眼のままリビングに移動し、冷蔵庫から出したお茶を飲みながら何気なくテレビを付けた、その時だった。 どうやら試合は既に終わったようで入矢が取材陣に囲まれているシーンが映し出されていた。 最初から見ていなかった為俺は表彰式も終わって、てっきり試合後の記者会見までのダイジェスト映像だと思い込んでしまったんだろう。 試合を終えて求められたインタビューに答えているシーンだなと、ぼんやりとした頭で認識しだした次の瞬間。 俺の項うなじを捉えた例の写真が画面いっぱいに現れたんだ。 勿論その瞬間に俺は目が覚めた。 そんな写真を何時撮られたのか全く以て検討が付かない――というよりは事後は大体発情後である事が多く俺が気を失ってる事が大半だったからどのタイミングなのかを特定するのは不可能だっていう意味だが――記者のカメラを通じてどれだけ沢山の人間がそれを見ているのか… 気付いた瞬間に俺の頭は湧いていた、所謂瞬間沸騰という現象だ。 画面の右上にLIVEという表示が消えていない事に気付くことなく、俺は混乱した頭で勢いのまま彼奴に電話を掛けてしまったんだ。 その事でまず日本中に入矢の番が男だっていう事が知られてしまった。 日本の報道各社がその事を報じると、それを見た世界中の報道各社がその事をまた自国に報じた。 グランプリファイナルの頃には全世界中に情報は知れていたに違いない。 あの時俺が軽率な行動を取ったばっかりに、彼奴の番が男である事を世界中に知らせてしまったのだ。 もっと冷静になっていれば…少なくとも入矢自身は番が居るという事実だけに留まらせようとしていたようだから、こんな事にはならなかっただろう。 つまり完全に自分が蒔いた種だった。 年が明けてもう間もなく四大陸選手権が始まる。 入矢はラストシーズンを公言していたのだからこれが最後の出場だ、当然参戦する。 また近い日程で欧州選手権も開催される予定だったからヴィクトルさんもリアーナの帯同で同じくこの家には居ない。 俺に出来る事は精々周りの目に触れないように家に引きこもる事しか出来なかった。 今の俺の姿を見られたらお仕舞いだ。 既に7か月目に突入しているから、この腹はどう頑張っても隠しきれるものじゃない。 若い癖に、太ってる訳でもないのに腹の出てる男なんて、十中八九Ωだ。 それもこの長谷津という土地は本当にβだらけでαもΩも殆ど見かける事が無い。 女性のΩだけでも珍しいこの土地に男性Ωが居れば、間違いなくそれは勝生入矢の番だと断定されてしまうレベルの過疎具合だ。 幸いにも家の造りが功を奏して、現在もこの家が俺たちの家だとは報道陣には気付かれてはいない。 だがリンクのすぐ傍にある事には変わりはないので、一度の失態が命取りだ。 実はこの家から地下通路が伸びていて、普段競技者用リンクへ向かう時はそこを通って移動している。 まさかそこまで大がかりな移動手段を仕込んでいるとは誰も思わなかったらしい、未だに誰もその事には気付いていない。 ――リンクと住居を同時進行で設計、建造をしていた為出来た事らしい。報道陣を巻く為にこんな事まで考えるとはと思ったが、今となってはこれがないとまともにリンクと行き来出来ない毎日なので必要不可欠だけどな。―― リンクまで行けば西郡一家の誰かが一般リンクの方に常駐しているから、食料や生活用品などの調達は度々お願いしている。 つわりが始まるまでは自分で車を走らせていたんだが、漸く終わったと思ったらこの日に日にデカくなっていく腹では乗るのは諦めるしかない。 後部座席なら外から見えないように構造を変える事も出来るが、運転席はその類の細工は法律上出来ないので常に丸見えだ。 万が一すれ違いざまに記者に見つかりでもしたら…と思うと尚の事乗れる訳がない。 先の入矢と俺の会話から、日本国民には既に俺が妊娠しているだろうという事はまことしやかに囁かれている。 勿論世界も同じ認識だ、今か今かと俺たちの子供の誕生に世界中が注目している有様だ。 バレてしまった事自体が全部俺の軽率な行動が招いた結果だから、誰にもこの怒りと不安をぶつける事が出来ない。 これ以上己の行動を後悔するような事などあるのだろうか。 そんな俺の不安を払拭しようと度々入矢は俺を抱きしめてくれていた。 彼奴が使うフェロモンの中で鎮静フェロモンに包まれている時は、それまでどんなに感情が高ぶっていても嘆きに暮れていても苦しさに心を痛めていたとしても、スッと薙いだかのように穏やかにさせられる。 最近はそこに癒しのフェロモンなるものも使っているらしい。 ただでさえ男Ωの出産は困難を極める。 女性と違って生殖に特化した器官とは異なる上に、俺のように後天性の場合は骨盤の形が出産に余り適さない形状に育ってしまっている。 確実に産み落とすなら帝王切開だと言われているが、身体に掛かる負荷も大きい為男Ωで帝王切開をすれば二度と子は産めないとまで言われているくらいだ。 2人の子を成せる男性Ωは総じて先天性、それも両親が番である場合が殆どらしい。 少しでも俺の身体に負荷が残らないようにと、今も続けていたフェロモンコントロールの末に使えるようになったとか何とか。 癒しフェロモンの効果は身体の治癒力を高める効果と、精神に負ったストレスをも徐々に軽減し取り去る力があるらしい。 俺が少しでも不安そうな顔をしようものなら、直ぐにその胸の内に抱き込んできて「大丈夫だよ。」と甘い声で告げてくる。 お陰で胎児の成長も母体の安定具合も俺の心配とは裏腹に至極良好らしい。 出産に備えて骨格を含めて徐々に身体の造りも変わってきているようだと言われた時は、入矢のフェロモンの力って一体どれだけ凄いんだと思い知らされた。 この年になって肉体に更に何らかの変化が起こるだなんて、普通ならば有り得ないだろう。 それでも現実に起こっている事なのだから受け入れるしかないし、他ならない入矢の言葉なのだからこれ以上信用に足るものもないだろう。 だから俺が不安に駆られるのは、入矢が試合などで家を空ける時だけだった。 そんな時は何時も彼奴の言葉を思い出している。 優しく抱きしめて、俺に向かって何時も囁くあの言葉を。 鷹斗が心配する事なんて何もないよ。 僕が絶対に守る、誰にも君を汚させたりしないから。 だから安心して僕たちの子供を産んで。 絶対に、大丈夫だから… 地味な計算をするのであれば、日本における後天性Ωの割合は (総人口:8千万人)×(Ω割合:7%)×(男性割合:16%)×(後天性:2%)=17920人 これが果たして多いのか少ないのかってのは微妙な所ですが…掛け算でも相当な低い率ではあるので、人口密度の少ない県ではやはり数十人程度。 更に各市区町村単ににまで広げれば…身近にいる後天性男性Ωはそうそう居ないっていう計算には、なると思う^q^← えぇこういうのを蛇足って言うんd(ry) 因みにちゃんと書いてないんですが女性Ωに価値がない、という事ではないです。 何故なら沢山埋めるのは女性Ωだけ、番間でしかほぼほぼαもΩも生まれないので双方の底辺の数を増やす事が出来るのは女性Ωだけ。 つまり有用な男性Ωですら女性Ωの力が無ければ数が増えない、という事なんです。 最大2人って書いてますけど実際男性Ωの子はほぼほぼ一人っていう設定なので(・ω・)2人産むのは稀です 両方大切にしないとαもΩも滅びの道を歩むのは避けられないので… 一応論文内には女性Ωの重要性もきちんと書いてある、という設定です← そして考察部分に書いていなかった更なる裏設定ですが(笑) 生粋のβである鷹斗がΩ化出来たのは運命のαである入矢がSSランクαだったから、という点。 Sランクαに出来なかった様々なフェロモンコントロールの中に、特定の相手のバース性を操作する力があったという設定です。 この辺はガッツリ描くつもりが無かったのでどの程度の力なのかは漠然としてますが… 本能的な話をするのであれば、お前俺の運命なのに何でβの身体で生まれてんだよ! お前俺の事認めたよな?じゃあ今からでも遅くないからΩになれよって感じの流れです(笑) 勿論この辺は入矢は無意識というか、自分がそんな事出来る力持ってる事すらまぁ知りませんからね^^; 本来Ωになる筈がない身体を造り替えるにはどうしても時間が掛かる。 何とか高校生活で共にする時間が増えてそこで一気に追い込んで…転じたっていう感じです。 勿論この間入矢も鷹斗も無自覚、変化に気付いていませんw close
この話が全ての発端でした。まさかこれをキッカケに大型連載になるとは(笑)
この話だけでは主人公の入矢が凄く怖い性格になってしまうので… 裏話に当たるものが次の「神が御心を捧げた日」になります。 入矢君の本心を知れば、彼がただの復讐者ではないことが分かるかと…!! |