4.障害

「あっいましたいました!!カメラさん、こっちです!!」

女の甲高い声が夜を迎えたばかりの闇の中に響く。
その声をきっかけに、続々と人――正確には報道陣――が集まっていく。
その人数も馬鹿にならないほど多く、 よくもまぁ自分達の為にこれだけの人が集まるものだと半ば呆れ気味に感心の息を漏らす少年、 いや、既に青年間近であった一人の男が横目でその様子を確認する。

「もう見つかっちゃったか。走れる?」
「うっうん。大丈夫ったい。」

互いに合図を交わした二人は、追っ手を巻くために急に走り出した。
それも並大抵の速さではない。
少女は鍛えられた身体を持つので、スピードもさながら持久力にも優れている。
少年の方は脚に履いている靴に加速機能が付いていて、 その上細身である身体にもしっかり肉が付いていて筋力も強いため、 少々無理して走ったぐらいでは筋肉痛も起こさないほど屈強だった。
急に猛スピードで走り出した二人に気づいた女達(アナウンサー)は、 驚きに声を張り上げる。

「あっ待って下さい!!是非お話を…っ!!」
「二人が逃げたぞっ!!追えっ!追うんだ!!!」

そこに集まり始めていた記者達が続々と足並みを揃えて駆け出していく。
目標は標的(ターゲット)を捕捉、例の事情の真相を聞きだす事だ。
ここ数ヶ月、様々な報道機関が(こぞ)ってそれを確かめる為に勢力を尽くして彼らを追っているのだが、 いつも彼らは巧みに報道陣を撒いていってしまうので、未だどこも彼らを捉えることが出来ていないのだ。
ここまでくれば記者達の意地の張り合いで、我先にとスキャンダルを求めて奔走する者が一向に絶えることがなかった。
最も、追われている方からすれば迷惑な事この上ないのだが。

「…はっ、全く…懲りない連中だね。」
「…でっでも、それっ…てやっぱり、仕方なかとよ。」
「……そうだね、他ならぬ僕らの事…だもん、ね。」

走りながらも会話を交わしながら、二人は駆けて行った。
少女は長い亜麻色の髪をはためかせながら。
少年は常日頃から被っている白い帽子を(なび)かせながら。
その足取りは一向に衰える事が無く、更に地形などを利用して巧みに町中を走っていく。

二対の脚が、地面から離れた。

その瞬間に追いかけていた集団から驚嘆の声があがった。

「なっ何ぃ?!」
「とっ飛び降りただとぉ?!」

二人が逃げ込んだ公園は遊具が不規則に並んでいて、追う立場としてはかなりよろしくない造りをした場所だった。
そして、この公園は一段高い場所に作られているため、 その周囲に張り巡らされた(フェンス)の向こう側は崖のように切り立った岩肌が数メートルむき出しになっている段差であった。
追われていた二人はそこを難なくと、躊躇いも見せずに飛び降りたのだ。
取材のためのカメラや音声収録器などの大事な機材を持ち運んでいた彼らは、その先を追う事は出来ない。
眼下で、着地を見事決めてこちらを見上げている二人を見つめるしか、術がなかった。

「悪いね、皆さん。じゃあお元気で。」

悪びれた素振りなど微塵も見せずに、そんな言葉を残して少年は去っていった。
少女も一瞬躊躇いがちに頭上の人々を見上げて、その後に習って走り出した。
またもや上手い事逃げられてしまった。
それぞれに感嘆や苦渋に満ちた視線で、報道陣達はその姿を恨めしく見送っていた。




夜の帳が町全体を覆っていた。
辺りに溢れるネオンライトの町明かりを避けるように、暗がりを走っていた姿がその足をゆるりと止めた。
表通りの華やかさとは違って、この辺り一体には照明と称する物が存在しない。
文字通り路地裏と言われる建物の隙間によって構成された道なき道であった。
良識ある人間ならば決して寄り付こうとはしない危険な場所。
すなわち、そこは誰にも邪魔される事がない安全地帯でもあった。
そう、少なくともこの二人にはそうであった。

いくら双方共に常人よりも優れた肉体と体力を持っていたとしても、 流石に町外れから中央部を抜けてこんな外れまで走ってくれば、彼らとて疲れて当然だった。
肩で大きく呼吸をし、頬は薄く紅潮していた。

「…はぁ、はぁ…っ、此処まで…来たら……もう、大丈夫…ったい、ね…」

少女の掠れた声が途切れ途切れに路地裏の暗い通りに響く。
もう一筋奥に入ってしまえば、大通りの光が届かなくなってしまうだろう。
そんなところまで行かなければ、今の二人には安息の地は得られないようになってしまった。


この亜麻色の髪を持つ少女の名は『サファイア』。
御年十五歳で、まだ幼さを微かに残した顔立ちであった。
しかし、そこは既に年相応の成長を遂げた事が分かる身体つきであった。
首筋から脚にかけての輪郭線(ライン)は綺麗な曲線を描いている。
顔付きも以前のようなお転婆娘のそれではなく、一人の女性としてとても凛々しい物になっていた。
彼女は数年前に起こった、古代ポケモンたちによる大災害の収束に携わった者達の一人で、 それも唯一の一般人であった者達のうちの一人であった。

そんな彼女も、今では凄腕のトレーナーとして成長を遂げていて、 半年ほど前に行われたポケモンリーグでは見事殿堂入りを果たす程の実力者であった。
僅か十四歳の少女がリーグを制した。
報道陣は挙って彼女を特集記事の一面として取り上げ、彼女は一躍有名人となったのだ。


「…とっ、とりあえず……は…ね。ちゃん、と…撒いた……みた、い…だし。」

少女の隣で乱れた息を整えながら後方を警戒し、少年は目を見晴らせていた。
この路地裏に逃げ込んだところを誰かに見られていないか。
しばらくは気を張り詰めて見張っていたが、どうやら誰にも気づかれなかったようだと確認したとき、 大きく安堵の息を吐いた。


この白い帽子を被った少年の名は『ルビー』。
同じく御年十五歳で、こちらはその成長ぶりが大きく、以前のような幼さはあまり残っていない。
それというのも、昔とは比べ物にならないくらいにその肉体が鍛えられていたからだろう。
まだ線は細めだが、数年前の彼とは全く別のモノである事は周囲の者全てが認めるほどだ。
そして、その顔付きも少年の域を脱しようとしている大人に近づいたものになっていた。
彼も、かの古代ポケモン騒動に関わった一人で、 隣にいる少女と共に事態の収束という大役を担った一般人の代表者のようなものだった。

そんな彼も、今では小さい頃から父親に養われたバトルの腕もさながら、 自らの実力でコンテストの域でも素晴らしい実力を保持しているトレーナーとなっていた。
つい先日ジムリーダー試験を受け、若干十四歳という若さで見事合格の文字を勝ち取った事で、 一躍有名になったものだ。
こちらにも報道陣達の熱い視線が向けられ、毎日四苦八苦しながら上手く撒いている日々を送っていた。
元々コンテストで一番名誉のあるマスターランクの称号を得てからというもの、 こういうのも少なくない日々を送っていたのだが、ジムリーダーの資格を得てからというもの、 更に度の増した接近(アプローチ)から逃げ回っていたのだった。



そう、彼らは世の注目を一身に浴びる高貴な存在となっていた。
それも学者の単位からトレーナーに憧れる少年少女までという、幅広い域の人間のだ。
しかし、それだけなら二人がこれほど逃げ回るような羽目にはならなかっただろう。

原因などはっきりしている。

彼ら二人が行動を共にしている。

そのことが大衆伝達(マスコミ)の興味をそそっているのだ。
それだけではない。
彼らの身の上や生き様を少しでも知らない者なら、皆こう思うのだ。

話が出来すぎているのだ、と。

そう思わせる要因の一つに、彼が師匠と、彼女が先生と言い、慕っていた二人の存在も絡んでいる。
師匠と呼ばれていた男と、先生と呼ばれていた女も、恋仲であった。
しかも立場こそ違えど、彼らも"チャンピオン"と"ジムリーダー"であった。
その二人が一緒に一年ほど前に忽然と消え、そこかしらで騒動となった事があったのだ。
幸い、休暇願いの連絡が遅れていただけで二人は消え去ったわけではなく、 このホウエンから遥か遠くの地方へと旅行がてらに出かけていたと言う事が後から発覚したのだが、 一度巻き起こった噂の波紋は既に広く響き渡っていた。

あの師匠にしてこの弟子あり、という評価(レッテル)が貼られてしまったのだ。

他にも彼らの両親がこのホウエンでもかなり有名な存在だったということも一つであった。
少女の父親であるオダマキ博士と言えば、研究者の中ではまず知らないものはいないだろうし、 世論も勿論そうであった。
少年の父親であるセンリと言えば、数あるジムリーダーの中でも最強の闘士(ファイター)だと謳われる存在であった。

この状況にある二人に接点があると知れ渡れば、騒がれない訳が無かったのだ。
既にその事は自覚していたつもりであったが、よもやこれほどになろうとは思ってもみなかった。
読みが甘かったのだ。



既に呼吸が整い、落ち着きを取り戻した少年は失笑しながら毒言を放った。

「…ったく、勘弁してほしいよね。どうしてああも諦めもせずに追いかけてくるかなぁ。頼むからそっとしておいて欲しいのにね。」
「…はぁ、そっそんなこと言うたかて仕方なかとやろ?一応あたし達は有名人になってしもうたんやから。」

まだ呼吸が荒い少女は少年の悪態に釘を刺すように諭す。
勿論、少年はそれを分かっていて口に出している事は承知している。
少女の言葉を聞き、少年は薄く笑みを浮かべてその藍い瞳を見つめる。

「じゃあ明日の一面は"新ジムリーダーと新リーグチャンピオン、謎の失踪!!愛の逃避行か!?"で決まりだね。」
「なっ…何笑ってるとっ!!いい加減にするったい、ルビー!!」

こんな状態に陥ってもまだこの状況を楽しむかのように笑いを絶やさない少年に、少女は激しく叱咤した。
そもそも、彼らに不用意に関わるなと言ったのは彼の方だった。
奴らはボク達を餌に、自分の株を上げることしか考えていないんだ。
だからむやみやたらに応えては駄目だよ?
適当にはぐらかして軽くあしらっておくんだ。
しつこい様だったら絶対に逃げるんだ、と。
だのに当の本人がこんな態度で構えていると言うのは一体どういうことなのだ。
少女は力一杯に己の思いの丈をぶつけた。
しかし、少年の顔からは決して笑みが消えることは無かった。

「仕方ないでしょ?可笑しいものは可笑しいんだから。」

彼らの一途で間抜けな様を見て、どうして笑わずにいられるのか。
勿論、自分が今の状況を楽しもうとしている所にも一因があるのだろうが、 それ以前に彼女が真面目すぎるという所にも落差(ギャップ)が生まれる原因があるのだ。
それを言ったら、きっと『あんたが不真面目過ぎる』といって切り返してくるに違いないのだが。


彼らは世間で言う"恋人同士"という関係であった。
その事実を最近知った者なら、 先に告白したのが内気で恥ずかしがりな一面を持つ少女の方だと聞けば、まず驚くであろう。
それほど、今の二人の力関係は少年の方が圧倒的に優勢に見えるからだ。
唯我独尊のような振る舞いを見せる少年が、いつも少女を丸め込んでいる。
そして、少女の方もそれを甘んじて受け入れているのだから、当然と言えば当然だ。
例の大事件の後、元々仲の良かった双方の両親と共にミシロでの新たな生活を始めた頃はよく一緒に行動していたものだが、 ここ最近は互いの夢を叶えるために別の道を歩んでいた。
しかし、互いにそれを果たして再び歩み寄ろうとすれば、周りが黙って見過ごそうとしてくれない。
同じ場所に居合わせようなら、少しでも視線を交わそうとするのなら、食事に誘おうと共に連れ立とうものなら、 必ず彼らは自分たちの前に現れた。

普通の家庭なら、恋路の邪魔をするものは両親と決まっているものだ。
しかし、彼らの場合は幼き頃に出会った時から既に公認されていたようなもので。
何の苦も無く普通の恋愛が出来ていたはずだったのだが。

『まさか、こんな"障害"が待っているなんてね…』

ここまで彼らが大きく騒ぎ立てるものだとは思っても見なかった。
昔は報道陣に囲まれる事に優越感を得ていたものだが、今は時折嫌悪の念がこみ上げてくるようになった。
それほどまでに、彼らの執念というのには舌を巻かされてしまうのだった。

「…あたしたち、何かもう普通の暮らしば出来なかのやね。」

少女の不安に満ちたか細い声が、少年の耳に届いた。
視線を向けてみれば、顔を俯かせ、藍い瞳に悲しみの色を浮かべている。
その姿が、どうしようもなく愛しい。

「…そうだね。」

心のそこから苦しさを感じるとまた同時に、別の感情もこみ上げてくる。
少女を想う淡い光と、欲望のままに貪りたいと望むどす黒い光。
同じように悲しみを分かち合おうとしている自分に混ざり、その様をとても滑稽なものだと見下している自分がいる。


そう、最初にボクの心を奪っていたのも。
憧れというモノを教えてくれたのも。
愛するという事を感じさせてくれたのも。

全て彼女だった。

誰にも自分たちの邪魔をさせる権利など無い。
己から彼女を奪おうとするものがいるならば、この手で鉄槌を食らわすまでだ。


少年は右手で少女の腰を絡め取り、空いた左手で少女の顎を掬う。
そして(おもむろ)に強く、口付ける。


少女は大きく目を見開かせて激しく抵抗する。
だが、力強いその腕に一旦捕まってしまえば、いくら力の強い少女でも歯が立たない。
次第に抵抗力を削がれていき、その手に堕ちる。
最初は拒んでいた筈の力は、いつの間にか縋り付く物へと変わっていた。


彼らは決して表には出る事なく、影で愛を育み合っていく。
きっと、これからもそうなのであろう。
この影での関係が終わりを告げる時はきっと、双方が近寄りがたい高みの存在になる頃…
彼らは今宵も、闇の中で一夜を過ごす。

妨げとなる"障害"が消え去る、その日まで…




fin.



close
すっごく考えたんですよ、この二人にとっての"障害"って一体何なんだろうって。
本誌でものっそい告白シーン(しかも姫から)が登場してしまった事により、 立場(っていうか考え方)が一変してしまって…
…結論付けたのが、『周りの人間』によるものでした(笑)
そんな感じでこんなのが出来ちゃったのですが…よっよかったのかな?