2.父

"あたし"はただ泣いていることしか出来なかった。
恐怖に脅えて縮こまることしか出来なかった。
突然現れたあの大きな"存在"にも。
そして、必死になって助けてくれた"彼"にも。
ただ自分の心を抑え切れなくて…
泣いていることしか出来なかった。

後から考えてみれば、それは助けてくれた彼にとって凄く残酷な仕打ちであった。
だが、今更"あの時"を取り戻すことは出来なかった。
自分はとても"弱い"。
ずっと大切に守られてきたから、守られること以外何も知らなかったのだ。
それしか知らない、だからそれからも泣いている事しか出来なかった。


あの事件の後、あたしは父ちゃんに連れられてこのホウエンに帰ってきたと。
でも、あたしの心はホウエンの綺麗な空のようには晴れんかった。
心にとてつもなく重いモノば圧し掛かっているような、そんな感じだったと。
あたしはじっと、手ば膝の上で握り締めながら(うずくま)っとった。
父ちゃんはそんなあたしを凄く心配しとった。
…当たり前やね。
親一人子一人で育ててきてくれたんやもんね。
たった一人の娘がそげな状態やったら、どんな親だってそう思うったい。
そう、あたしにとって"父ちゃん"は特別な存在やったと。
今ならそんな気持ちもよく分かるけん。

それから数日後、塞ぎこんどったあたしに、父ちゃんが声ばかけてきよったことったい。

「サファイア、森に行かないかい?」

今まで何度か森に行きたいとせがんでも決して連れて行ってくれんかった父ちゃんが、急にそげなことば言いよった。
あたしは目をパチパチとさせて、も一度それはホントと?と尋ねたったい。
返事は同じやった。

「あぁ、どうだい?一緒に行かないかい?」

素直に嬉しかったと。
今まで"女の子だから"と無茶もさせてくれんかった父ちゃんが、あたしを誘ってくれた。
それも"一緒に"、一緒になのだ。
何日か振りの笑顔で、あたしはうんと答えた。
父ちゃんもそんなあたしの顔ば見て、嬉しそうに微笑んでくれとった。


森の中はとても綺麗やったと。
今まで絵本やテレビ何かで見てきた森とは随分印象が違ったとよ。
柔らかい草の絨毯。
木の上から漏れてきよる日光(ひかり)
遠くの方でちょろちょろと走っとる小さな生き物(ポケモン)達。
どれもこれもが新鮮で楽しい気持ちになったったい。

父ちゃんは仕事だからと必死にポケモンの後ば追っとった。
その姿がいつもの父ちゃんと同じようにも、違うようにも見えた。
木の根元にば躓いてこけよる所は"いつもと一緒"。
目を輝かせて何度も立ち上がって追っかけよる所は"いつもと違う"。
ふとその光景を見とったら、"彼"の事を思い出したと。
自分と同じ"子供"やのに、力強か背中だった"彼"。
二人で並んで座って交わした、あの約束ば思い出した。

あたしもあんな風になれるやろうか。

あたしは着ていた小奇麗な服の事も気にも留めんで、森の中を走っていった。


森はいっぱい色んな事ば教えてくれたと。
自然界は"弱肉強食"で。
弱かもんは強かもんにやられてしまう。
だから"守られん"といけなか。
そして、自分の力ば誰かの為に使えるようになってこそ、本当の"強さ"やと。
それはかつての憧れの存在やった"彼"そのもののようやった。
"彼"と同じ舞台に立つためには、もっと強くならんといけん。
あたしはその事を教えてもろうた。

大自然の一部であるこの"森"に。

そして、あたしを一生懸命育ててくれた"父ちゃん"に。



「…どうしたの?サファイア?」

紅目の少年が、こちらを見つめていた。
どうやらいつの間にか放心状態になっていたらしい。

『あん時の事ば、今更思い出すなんて…』

何と滑稽なことだろう。本当に"今更"になって…
少女は思わず苦笑を漏らしてしまった。
その様子を不思議に思った少年は、小首を傾げて問い掛ける。

「どうしたのさ、本当に。急に笑ったりなんかして。」
「別に?何もなかとよ。」
「ホント?」
「……ホントったいよ。」

そういって少女はぷいっと少年から目を逸らした。

「何だよ今の"間"は。本当は何かあるんでしょ?」
「何もなかと言っとるとでしょ?」
「…なんだかなぁ。」

呆れた表情で少年は息を吐いた。
少女もその顔に安堵し、微笑んだ。


あれはもう"過去"の出来事。
物語は今これから築いていくのだ。

"父ちゃん"とではなく、"彼"の強さと…




fin.



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この話で一番苦労したこと、それはやっぱり「サファの方言」ですね(笑)
出来るだけ自分で頑張ったのですが、分からないところは 「方言変換道場」というサイト様の力をお借りしました
う〜でもやっぱりサファの言葉って完全な博多弁ではないですよねぇ…
そしてこの話は一応「3.母」と"対"の形になっているのですが、果たしてそう見えるのでしょうか…?